【よみもの】琉球王国時代からの味と技を守り続ける 本家新垣菓子店のちんすこう | 樂園百貨店

琉球王国時代からの味と技を守り続ける 本家新垣菓子店のちんすこう

2021.10.26

OKINAWA

琉球王府の庖丁人(料理人)として中国(清朝)からの客人をもてなす料理を作り、薩摩藩を訪問して和食や菓子作りを学んだ新垣筑登之親雲上淑規。本家新垣菓子店の初代である新垣淑規氏が創り出した琉球の銘菓「金楚餻(ちんすこう)」は、150年以上の時を経た今でも、昔ながらの製法を守り、一つ一つ手作りで当時の味を伝え続けています。

本家新垣菓子店がお店を構えるのは、琉球王府のお膝元だった首里の儀保駅からほど近い住宅地。現在は7代目の新垣淑武さんがその味と技を引き継いでいます。

「小さい頃から店の手伝いはしていました。ちんすこうを入れる箱を手で折って組み立てて箱詰めをしたり、バスに乗って、りうぼうさんに配達に行くこともありましたね。実際にちんすこう作りを手伝うようになったのは20歳くらいの頃だったと思います」。

そう話す淑武さんが店を継いだのは5年ほど前のこと。父である淑彦さんが体調を崩し、店を任されるようになり、淑彦さんが他界した今は母と二人で菓子作りをしています。

本家新垣菓子店のちんすこうの一番の特徴は、なんと言ってもすべて手作業で行っていること。初代が考案したレシピを守り、できるだけ当時の味を変えないように、というのが新垣家で代々伝え続けられてきたことでした。

ちんすこうの材料は小麦粉、上白糖、ラードの3つだけ。材料を混ぜてこね、生地を作り、成形したらオーブンで焼き上げたら完成。材料も作り方もいたってシンプルですが、できあがったちんすこうは、やはり本家新垣菓子店ならではの歯応えと味わい。その秘密を淑武さんにたずねてみると、少し考えてから「焼く温度は大事ですね」と。

「昔は薪や木炭を使って窯で焼いていて、自分の祖父の代までは木炭窯だったと思います。今はオーブンですが、毎日の天気や気候、温度や湿度で材料の配合は変えています。昔からずっとそうやってきたと聞いていますね。教えられたというより、そうやっているのを見てきたから当たり前のことというか。あとは、うちは基本的に手作業なので、触った感じでわかることはやっぱりありますよね」。

機械で作るのではわからない、手で感じること。歴代の職人が日々の積み重ねの中で経験として得たものを頼りに、守り伝えてきた味。文字として残されたレシピだけでは決してないものが、そこには確実にあるのです。

「焼き上がったら毎日必ず味をみます。それから食感を確かめますね。サクッとしてホロっとしていて、中が空洞になっているのが一番上等です。この空洞がしっかりあると食感が良くなるんです」。

先代から教え伝えられたものに誠実に向き合い、日々、ひたむきにちんすこうを作ること。その実直さが、琉球王国時代から続く本家新垣菓子店のちんすこうの味を今日まで伝えているのです。

OKINAWA the RYUKYU

『OKINAWA the RYUKYU』は、デパートリウボウにて立ち上げたプロジェクト『Ryubo Ryukyu Royal Project』(リウボウ リュウキュウ ロイヤル プロジェクト)から2020年に生まれたオリジナルブランドです。琉球王国時代から脈々と受け継がれてきた「いいモノ」はそのままに、現代の感性や技術から誕生した「新しい沖縄」を取り込み、琉球と沖縄をひとつのパッケージに『ちゃんぷるー(融合)』しました。沖縄の「歴史」「文化」「芸術」「感性」「風土」を大切にしながらも、当時の琉球人がそうしてきたように、県外・国外の「いいモノ」を取り込みながら、新商品の開発にも挑戦していきます。